とうさんとライブハウスその2

100坪のライブハウス。
中央上に見えるのがPAのブース。
なお、このジープはすべてとうさんの趣味のおもちゃである。
これ以外にも数多くのおもちゃがある。

 渕瀬は避難勧告の出た28日から、虻田小学校に避難していた。
テレビ、新聞では有珠山の西側での噴火の可能性が高いと、
報じていた・・・、仕事もなく、これといってする事のない渕瀬は
いつも、食事の時以外は、西山が良く見える小高い丘の上で過ご
す事が多かった。
 アレはたしか30日の朝だったと記憶しているが、いつものように
その丘に行くと、見なれた青いRV車がとまっていた、とーさんだ!
車を止め、「とーさん!」、と、その車に駆け寄ると、とーさんは
立小便をしながら「おーう」と答えた。
 かーさんは少し離れたところで何やら探している様子・・・。
「かーさん、なにしてるー?」渕瀬が聞くと
「わしさぁーこんな時でも、これくいたくってサー!」
と、手の中の”ふきのとう”を差し出して「が・は・は・は・・・」と
笑っている。
「まったくかーさんは相変わらずだねーぇ」・・・
半ばあきれて言うと
「あんたもくうかー?」と聞く、
「避難所じゃ料理も出来ないよー」、と
「そうーかー、して、あんたどこさいたの?」
虻田小学校にいる事やこれまでのことを一とおり説明して、
で、「かーさんたちは?」、渕瀬が
聞くと、とーさんがそばに来て、室蘭の”白鳥湾展望台”に息子の
”竜”と車2台でいるという。
「何でまたあんなところに?・・・」、
「あそこはいいど−ぉ!」
とうさんが続ける。
「トイレはあるし、何んか食いたかったら売店もあるしな」
だけどとーさん、避難所に来たほうがいいんでないかい?
「なーにじき終わるさー!、前の噴火の時もすぐに帰れたんだー」
そう言うと、じーっと山を見つめた・・・。

 かーさんが、
「子供に食わせれ」とリンゴやみかんをくれて、「元気で
頑張りなさいよ!、今度はいつ会えるべねぇー?」
と寂しそうにいう・・・。
「かーさんも元気でね・・・気をつけて」
役場にいくという二人が車に乗り込む・・・
「とーさん、避難所に来たほうがいいよ!!」
もう一度渕瀬が言うと、それには答えずに”ニヤッ”と笑い、ゆっくり
と車を走らせた・・・。

 とーさんとあった翌日の、3月31日 有珠山が噴火した!。
最初の噴火は、高速道路のインターチェンジのすぐ上だったが、
それから数日のうちに いくつもの噴火口を作り、徐々にとーさん
の”ライブハウス”に近づいている 大丈夫だろうか?
・・・心配だ。
連絡をとりたくても、とーさんは大の電話嫌いで、携帯電話など
持ってるはずもなく・・・まだ白鳥台にいるのだろうか、それとも
どこかの避難所にいるのだろうか・・・なす術もなく、数日が過ぎた

 そのころ渕瀬は災害用FMラジオの立ち上げで、連日深夜まで
災害本部にいる事が多くなり、日中もその準備の為非常に忙しく
その間、避難先が、虻田小学校から豊浦中学校そして、エイペックス
社員寮と、転々としていた。
 避難所にいるのはほとんど深夜、早朝 噴火前の生活とあまり
変わらないものとなっていた。
 そんなある日の朝、突然とーさんが、現れた。
「おー!、げんきでいたかー。」
噴火後初めての再会であった。
とーさんこそ元気かい!、今どこにいるの?、渕瀬が聞く
「2〜3日前、パブリックにきたー。」
と、とーさんが答える。
 パブリックとは、同じエイペックス社員寮の独身寮である。
家族で、個室に入る事ができたらしく、ほんとうに良かった・・・。
ところでとーさん、”あそこ”だいじょうぶかい?、自衛隊撮影のビデオ
を見る限り、何ともなさそうに見えるけど、
「建物は、あるなー、多少は、どうにかなってるべー。」
無事だといいね・・・。
じつは、避難する10日ほど前に、役場の若い職員がバンドの練習を
して、ギターアンプ、ドラムセット、キーボードなどが、そのまま倉庫に
置いてあった・・・・・。
 とーさんは、それがとても気掛かりで、自分の事より心配していて、
「かなり”ごんにゅぐれてる”けど、なかは大丈夫だと思うけどなぁ・・・。」

*注 ”ごんにゅぐれてる” とーさんは” いびつになったこと”を、
    こう表現する、いったいどこの言葉なんだろーか・・・謎である

 FMの準備が本格的に始まり、それからしばらく、とーさんと会う
事はなかった。
 5月8日、じつに沢山の人たちの応援を得て、FMレイクトピアが開局!
『ADB、こちらは災害用FM局、復興通信FMレイクトピアです・・・・・・』
♪ た〜ンたー・た・たっ・たあー・・・・♪
「このたびの有珠山噴火にさいし、被災地におられる皆様へ・・・・・・」
 NHK室蘭の栗田が開局を告げる
やっと、やっとここまで来た・・・・・office312 松崎氏、加藤女史、栗田と
渕瀬は開局前の一週間、ほとんど寝る間もなく開局に向けて、最後の
準備に追われた・・・。
「これで、町民により正確に速く情報を伝える事が出来る・・・」
喜びと感謝で、あふれる涙を押さえることが出来なかった渕瀬でした・・・。

 5月にはいると、”修理工房”の仕事も徐々に動き出し、レイクトピア
と仕事の事で、それはもう殺人的な忙しさとなった。
 
そんなころ、とーさんの噂話が耳に入る・・・・・。
なんでも、避難所となったパブリックのロビーで、自衛隊撮影のビデオ
を心配そうに見つめ、長引くかも知れない避難生活の事や、自宅は
大丈夫か?とか、商売のこと、勤めの事、生活資金の事など、など、
こまったなー、と、話し合う避難住民に対し、
「なんでこまるのよ、噴火して困るやつは、噴火しなくても困ってたん
だぁー、おんなじよ!」
・・・よせばいいのに、さらに・・・
「おれなんか、なーんも困らん!」
などと、うそぶいてるらしい・・・。
 また、いつもの調子で「ガ・ハ・ハ・ハ・・・」と、笑っている事は、容易に
想像できた・・・、これにはかなり陰口を言われているようだった。
が、しかし、とーさんの言う事はあながち間違いではないかもしれない
洞爺湖温泉の町はここ数年、観光客の入りこみが低迷し、噴火以前から
あそこが危ない、ここが危ないなどと、囁かれていた・・・。
噴火がなくても、困っていたのは事実である。

 そんなこんなで、あっという間に時が過ぎ6月の初めに、とーさんから
「倉庫に一時帰宅するぞーお前も行くべぇ、それとバンドのやつも1人
つれてくべ」
と連絡が入る。

 いよいよその日が来た!、待機する場所に行くと、とーさんとバンドの
猪俣がすでに来ていて、今日は、後日積み込む荷物の整理をするだけ
だという・・・。報道陣も数社来ていて、例によって一時帰宅の感想など
を求めていた。
 とーさんの所へも記者が、今の気持ちを聞かせてください
と、インタビューを申し込むが、
「なーにが今の気持ちだ!、お前ら人が困ってるのそんなに面白いのか!」
と、怒鳴られていた。
記者はしどろもどろで謝っていた・・・。相手が悪いよー記者さん!、
猪俣と渕瀬が顔を見合わせ言った。
おれは、NHKは嫌いだ!と、とーさんはまだ怒っていた。
(なぜNHKが嫌いなのか渕瀬は知らない・・・。)

 待機場所から、ワゴン車で装甲車の待つ見晴台まで移動する。
 ヘルメット、軍手、ダンボールの箱を渡され、いよいよ載りこむ、初めての
体験だ。何だかわくわくする。
 渕瀬は噴火後の西山のようすをビデオに残そうと、Vカメラを持ってきた
ので、ハッチを開け上に半立ちになると、自衛隊さんが
「自分が押さえます」
と、渕瀬の体を支えてくれた・・・。
 所々断層が走り、かなりゆれた・・・。
 進むにつれ渕瀬は目を疑った。下りのはずの道が消防の先から、
かなりの急勾配で上っているのである。
すごい!
思わず声が出た・・・。
とーさんの倉庫は消防を左に曲がり200m位の所であるが、途中の
道は凸凹になり、道路脇の電柱が折れ無残な姿をさらしていた・・・
そこから見る倉庫はかなり斜めに見える

 倉庫の前につく。
 急いで装甲車を降りる・・・。
 シャッターは折れ曲がりぶらぶらしていた。平らなはずの倉庫は、
ステージ側が約4m隆起し平衡感覚が保てない・・・。
ステージの前部は後ろから押されたように盛り上がり、何箇所かへし
折れていた。その他は想像よりはひどくはなかった。
 もちろん楽器類も無事だった!、猪俣は安心して、笑顔を見せてい
た・・・・・。
 しかし今度来るまで無事だという保証はない・・・・・。
 自衛隊さんが3人ほど来ていたので、今日は整理するだけですか?
搬出は無理かい?と、懇願する。
みんな手を休め、目を見合わせる。
・・・・・しばしの沈黙の後、上官らしい隊員が決心したように言った。
「積みましょう!」、なにせ正味15分ほどの短い時間である、どんどん
装甲車に積みこんだが、1台では足りず別の装甲車にも、いっぱいの
荷物を積みこむ事となる・・・。
 さしあたり必要な とーさんの道具と、楽器の全てを積み終えた時、
まだ3分くらい撤収まで時間がある・・・
とーさん!、おれ、その辺写してくるから・・・
そういって西山の火口や、消防の前の池、ゴミ焼却場へ続く道の2m
ほどの断層や、倒れた電柱、倒木などを撮り終えて急いで戻ると、装
甲車は倉庫の下の家まで、すでに移動していた。(この時の映像がそ
の日のNHK・夜のニュースで全国放送になった、もちろん有珠山NET
のHPにもUP!)

 無事に見晴台に付き、荷物を下ろし終えると、何やら騒々しい・・・・、
「何で、渋谷の所は3人も行ったんだ!」
とか
「今日は、荷物の整理なのに、どうして搬出したんだ!」
とか
「しかも、装甲車2台も使ってるのはおかしい!」
などと、数人が役場の職員に食ってかかっていた
担当者が困り果てていた・・・。まさかあの優しい自衛隊さんたちが
「積みましょう」 と言った、などとは言えるはずもなく・・・・・、
1番怒っている人は渕瀬もよーく知ってる人なので、ゴメンナサイ
と、素直に謝罪して、自分が他人から預かり、とーさんの倉庫に
置いてもらっていて、無事なうちに返してあげたい、と、頭を下げた・・・。
「それは解るけど・・・荷物を出したいのはみんな同じなんだからな!」
返す言葉が見つからなかった・・・・・。
 結局その日は、集合場所まで荷物を運び出すことが許されず、230号
の歩道上にシートをかけて置き、後日運ぶ事になった。
 数日後 本格的に荷物の搬出をしたが、今度は自分のものを出そう
とした”とーさん”だったが、それは許されなかったそうで、前回、放置
していた荷物を運ぶにとどまった・・・・・。
なんとも後味の悪い結果となった。



Fuchise's e-mail:fuchise@usuzan.net

その3へ