とうさんとライブハウスその3

この真っ白なジープにまたがって、北島三郎をがんがん鳴らしながら
洞爺湖温泉町を流すのが、とうさんの夏の楽しみである。

 8月のある日、渕瀬の事務所であの”太田商事”の中野淳と話をしていると
とーさんが来た、中野は
「やー、とーさん久しぶり!」
と、声をかける
「残念だったねぇー、ライブハウス」
というと、とーさんが
「中野君、虻田にいい場所ないか?」
と、聞く。
「えぇ、なんに使うのー、まさかライブハウスじゃないよね?」
と返す・・・。
「おおー、ライブハウスよー」
と、とーさん。
農協の倉庫が空いてんじゃない?
渕瀬が言う、あそこなら駅のそばだし中高生でも不便なく使えるし、周りには
駐車場もあるし・・・などと3人でいろいろ話した。
「中野、お前調べとけ!」
「とーさん、本気かい?」
中野淳が”小さな目を丸くして”確認する。
「おおー、やるさー!!」
と、すぐに答えるとーさん。淳さんは半信半疑ながら予算などを聞いて帰った。
それから、とーさんは毎日、
「中野からなんか言ってきたかー?」
と、渕瀬のところへ来て聞く・・・。たまりかねた渕瀬が淳さんへ電話すると
やはり中野淳は本気とは思えず、まだ農協に確認していなかった・・・。
とーさん本気だったんだ・・・そう言うと「すぐに行って聞いてくるはー!」
と電話を切った。
 その日の夕方、中野淳から、理事会に諮らなければならない事や、その他いろ
いろな手続きが必要なので、かなり時間がかかる・・・、と、電話を受け、さっそく
とーさんに報告する。
とーさんは
「そうかー」
と、そっけない・・・・・。
「なーにあわてることはない」
そのうちなんとかなるー、と続ける・・・。
「ひとはなぁーその時、その時の状態に応じて、生きていけばいいんだぁー」
うなずきながら、ゆっくりと言葉を確認するように語るとーさんでした・・・・・。

 とーさんの事を、ことさら美化するつもりは渕瀬にはない、悪いところも当然あ
る・・・。どう言えばいいのか・・・とにかくいつも自然体なのだ

 かーさんもまた、同じである。
どんなに頼んでも、けして無理などしない・・・、貧乏で、金もないのに他人
の事が、気になって、気になって仕方がない。頼まれれば無理をしてでも
何とかしたくなる、どこぞの”ウスラバカ二人”とは明らかに違うのです・・・。
 若い時から、人に言えない苦労もしています、さり気なーく、他人の事も
考えられます(自分の力量に応じて)・・・・・。
 こんな二人の側面を知る人は、残念ながら虻田の町には少ない・・・・・。

 とーさんは、こう言いました・・・、
「おれがなー、こんなもん(ライブハウス)作ったのはなぁー、今の世の中あれ
やっちゃ駄目、これやっちゃ駄目って子供らみーんな、小さくなってるベー。
だからなぁー部屋にこもって、ゲームだとか、ほれ、なんてったっけ パソコンか
?そーんなもんばっか、いじって背中丸めてるんだぁー・・・。
大きな声だして、好きな事やって発散する場所ないべやー・・・・・。
だからなー、子供らがいーっぱい集まって、大騒ぎして発散出来る場所を作っ
てやりたかったんだぁー・・・・・。
こんなに”ごんにゅぐれた”世の中だもの、子供だって生きにくいべぇー
おれみたいなもんが何言ってんだーって、言われるかも知らんけどなぁー」

そういって「ガ・ハ・ハ・ハ・・・」と、笑った・・・・・・。         
            おわり。

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 とーさんとライブハウスを、お読み頂きありがとうございました。
いかかがでしたか ?。
ローズMLで、富田が書いた >>渕瀬が、金持ちの親父をだまして
ライブハウスを作る、が、きっかけで、反論の意味を込め書き始めのですが
(富田は、軽いジョークのつもりです、誤解のないよう・・・。)
渕瀬は、こんな人たちに支えられ生きています。
ありがたいです・・・・・。暇もなくとことん貧乏ですが、心は貧しくありません!
なんだかんだ言っても、この街が好きです!。
今洞爺湖温泉は、噴火の影響で非常に厳しい状況ですが、このウスラバカ
に出来る事があれば、これからも住民の方たちと頑張っていきます、どうか
洞爺湖温泉をご声援下さい。                   ありがとうご
ざいました。


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