渕瀬靖寛の落涙レポート
とうさんとライブハウス

なかなかいい顔をすることもある・・・・。
黙っていればいいんだけど・・・・。

             『とうさんとライブハウス』〜その1〜

 去年のとある秋の日、
渕瀬が”とうさん”にいった、「あのさぁー、虻田のバンドやってる若いもんが
練習する場所なくて困ってんだ・・・・・。とうさんの倉庫貸してやってくれないかー」。
と、とうさん 「ふーん・・・・・・・。」

 数日後とうさんが「山にこい」というので、行ってみると100坪の倉庫いっぱい
の荷物(といってもほとんどがガラクタ)をかたずけていた

「ここになあーステージ作ったらいいベー」って「そしてなぁー練習だけでなくてな
ライブだってできるべ」と、ガ・ハ・ハ・ハと豪快に笑う。
「残りのスペースはお前が使えばいい、こんだけ広かったら何でも出きるぞ!」
あ、ありがとう、とうさん・・・・・俺も手伝うよ!
「いい!これは俺一人でやる、お前は自分の仕事をすれ」。

それから毎日毎日”とうさん”は12月まで倉庫の整理をしていた・・・・・。
何と、4トントラック6台くらいの宝物を処分した(お金をかけて)
このころ、倉庫にはライブハウスに十分なスペースが出来ていた
1月に入ると、鈴木君という若い大工が正月休を使いステージ作りを
始めた。「渕瀬さん、”とうさん”何だって急にこんなもん作る気になったんだべ」
ん・・・とうさんの夢、かな・・・。
幅は何ぼいる?奥行きは?ステージの高さは?とうさんが聞く、
そうだなー、と、渕瀬があれやこれやと指示を出す。

「ところで、ステージの床、厚いほうがいいべ?」
あ、あー、そうだね。
「だってなぁー、どんな会場借りてもみんな気い使うべや好きなように飛んだり
はねたり出来ないべ、だからな俺んとこはな、どんなに暴れてもいい様に丈夫
にするさ」 ガ・ハ・ハ・ハ・・・。

450mmのH鋼の梁3本、その上に厚さ3センチの板、さらに厚さ12mmの
コンパネを2重に張るという・・・”とうさん”そんなにしなくても、と、言おうと
したが、言葉を飲んだ・・・・・。
鈴木君は、15日までの正月休みの全てを使い、夜遅くまで仕事をしてくれていた
1月31日には、大工仕事が全て終わっていた。
このころ渕瀬は何かと忙しく、しばらく”山”にいってなかった

「見にこい!」とうさんが夜遅く渕瀬の事務所にきた。翌日の朝さっそく
山の倉庫に行ってみる、とうさんは先に来ている。中に入ると
立派なステージが出来ていて・・・『2000・1・31』と書かれた板のそばで
とうさんが笑って立っていた 
「どうだ・・・」と、とうさんがいった・・・・・
す、すごいよ”とうさん”!!表面がコンパネだけのステージだけど
渕瀬にはどんな立派な会場のステージよりもはるかにすばらしく見えた・・・
とうさん・・・ありがとう・・・こみ上げてくる熱いものを感じながら
精一杯の声でいった。
「あとな、ペンキ塗ったほうがいいべ?」とうさんが言う
いやいいよ、とうさん・・ペンキくらいバンドの連中にやらせるよ・・・。
ここまで、すでに130万円くらいかかっていた(もちろんとうさんが出してる)
「なーに、ここまでやったらなんぼでもない」 ガ・ハ・ハ・ハ・・・。
「あと、電気工事はおまえたのむぞ!」
あぁーもちろんだよ!。
「スポットライトも付けるのか?」とうさんが聞く
(文化センター改築の時、廃棄したライトを渕瀬がもらっていた)
つけようとおもう、と、答えた。
「容量は?」 そうだなぁーこの広さだと結構、数いるなー、
20Kwくらいかなー。
「20キロかぁー・・・そうかー・・・」

数日後、「いいもの買ったから見にこい」 
 山の倉庫に行くと
入り口のそばに、緑色のでっかいウエルダーがあった・・・
60Kvの容量である、とうさん買ったのかい!!。
「あぁー。」たかかったしょ!渕瀬が言う、
「な〜んもだ、65万だ安いもんだぁー。」
 ・・・・・・。「だってな、」とうさんが続ける
「1週間に1回位しか使はないのに、20Kも30Kも契約したら北電
喜ぶだけだべ!それになぁー、これあれば屋外でイベントやったって
つかえるべ や!ガ・ハ・ハ・ハ・・。」(そのウエルダーが”BOOプロ”の時活
躍した)
「これであとはお前の仕事だけだ」
 よ−し、そろそろ真剣にやるか!。
そーだ、「あと、アレなんだっけ、ほれ、あの調整するやつ・・・」
あぁー、ミキサーか?、
「おおーそれそれ、あれ天井からつるか」・・・・・。
それから又とうさんは単管を使いあれこれやってくれた。
3月の中ころには、ペンキも塗り終わり、天吊の調整室もほぼ出来ていた
「そろそろ機材運んで、音出してみるべ」
・・・そうだね。
「これで春になったらみんな来て、ライブできるべー。」
・・・もうすぐだね。

”とうさん”は、その日が来るのを、すごーく楽しみにしていた。

「おれな、今まで人に負けたくないと、一生懸命働いて生きてきたんだ、
おかげさんで、今はこうして財産もすこーしもてて(少しではない)
食うに困らなくなったんだ・・・、人のことまで考えた事なんて・・・なかった
んだ・・・だから今度は虻田の若いもんの為に何かしてやりたくなったんだ
・・・いいべや!」
とうさんはそう言うとまた、ガ・ハ・ハ・ハ、と、笑った。
(とうさんは若いころ、親が破産し競売にかかった牧場を買い戻すために
ずいぶん苦労したことを、渕瀬は聞いている。)

とうさんが虻田の若いもんの為に5ヶ月、200万を費やした、
このライブハウスに春はこなかった・・・・・。




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            渕瀬靖寛
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