有珠山噴火 火口探検記
火口近くまで入るチャンスを得た。とあるルートにより、研究者について立ち入り禁止区域に入域できることになったのだ。10月9日。昨日は運動会だったので打ち上げの疲労が残るが、そんなことは言ってられない。研究者2名と紹介者1名一般2名の合計5名。立ち入るのは「金毘羅山」と並んで数多くの火口がある「西山」だ。
まずは幼稚園。洞爺湖温泉小学校は泥流による被害がひどかったが、このとうやこ幼稚園は噴石による被害を受けた。小学校とはまた違ったすさまじさ。幼稚園の運動場は何千個、何万個という噴石でうめつくされている。園舎はもちろんボコボコで中もめちゃくちゃ。小学校と同じく卒園式のあと、紅白幕や壁の飾りが物悲しい。
噴石の被害がすさまじい幼稚園。
とうやこ幼稚園からは温泉町へ続く道路がのびている。この道路がまたひどい。亀裂が入ってめくれ上がり、数メートルに及ぶ段差ができているところもある。道は山頂に近づくにつれてだんだんひどくなり、ある地点からは道路の先がまったく見えなくなっていた。その先は・・・。これが、私がよく車で通っていたあの場所?見る影はまったくない。そこはもう、よく目にしていたあの場所とはまるで違っていた。
白いガードレールが、ある地点からぐいっと空にのび、その下には人が通れる位の大きな下水溝がその姿をすっかり地上に表している。
何でこれがこんな所にあるの?この先はどこに? ・・・あったぁ!。
足元のずーっと下の方にその続きが・・・。地下にあるはずの物が頭の上にあり、確かに隣り合っていたはずの石垣がまったく別の場所に。
姿を見せた下水溝。
その続きはずっと下に・・・。
そして民家は・・・。門は折れ曲がり、車庫は地上から数メートル浮いている。まっすぐなはずの壁がカーブを描き、部屋が数メートル下にすっぽりと落ちている。
なんという力。人間が機械を使ってお金をかけて、何日もかかってつくったものがいとも簡単にねじ曲げられている。さらに進むとそこはもう、赤みがかった火山灰で覆われところどころから煙のあがる、自然のままの世界。
ゆがんでしまった民家。
焦げるようなにおいが鼻をつく。地熱で木が焦げているにおいだそうだ。そしてその中にぽっかりと、あり地獄のような穴が。火口だ。現在は休止していて煙のあがっていないところだが、なんとも不気味で、なんとも美しい・・・。そしてその近くには三本の大きな木が。緑の葉っぱをたくさんつけて、確かに生きている。
この辺りは最大で80メートルの隆起があった所。地面といっしょにここまで隆起してきて、それでもなお、生きている。感動・・・。
帰り道、先ほど見た民家にも意外なものを見つけた。赤々とした実をつける、りんごの木。となり合って生えていたはずの2本の木がすっかり離れてしまっている。でも、2本ともきれいな、つやつやとした実をたくさんつけているのだ。ちょっと失敬してみんなで食べてみる。おいしい・・・。この何ヶ月か地形がどんどん変わる中でも花をつけ、受粉をして実をならせるという仕事をいつもと変わらずたんたんとこなしていたんだなあ、と思うとこれまた感動。ちっぽけな人間の力と自然の大いなる力。言葉にするとありふれてるけど目の当たりにすると胸にぐっとくるものがある。残したい。今私が見ているこのままの、このめちゃくちゃになった姿を多くの人に見てもらいたい。そんな気持ちが強くなる。
この時、煙の上がる火口まで行く予定だったのだが雨が強くなり断念してもどり、別の場所へ。虻田本町と洞爺湖温泉町をむすぶ、山を越える国道のちょうど一番高くなったところ。この国道の上に水がたまって沼のようになっている。写真では見ていたがこの目で見るのは初めて。美しい・・・。水没した民家もあってたいへん不謹慎ではあるが一目見てそう思った。真っ赤になったもみじが水面に映り、そのそばにあるお地蔵さんの、その小さな屋根だけがぽっかりと水に浮かんだようになっている。
有珠山の山頂には23年前の噴火まで「銀沼」という美しい沼があったそうだ。そこで子どもたちがよくフナつりなどをしていたとのこと。この沼も今回の噴火の痕跡として残っていくのだろうか。
現在は休止中の火口。
今回は本当に貴重な体験をさせてもらった。写真で見るのと実際に見るのとでは大違い。虻田町民もこれほどの状態だとわかっている人はそう多くないだろう。町民が、子どもたちが、そしてそれ以外の多くの人たちがこのようすを目にすることができればいいと思う。
10月15日 廣川 純子