8/29に神着美茂井地区を襲った低温火砕流。 今日1/23で火砕流から158日たった。 全島避難してきて4ヶ月たった今あらためて見直すと、凄すぎる所に避難しないで 住んでいたんだなと今更ながら感じる。 あの時は慣れてしまったのかわからないが、大変だったけど平気だった。 神着は4回大量の火山灰が降った。そのたびに屋根や敷地の灰を片付けた。 でも島から避難する気は全然なかった。 この日、たまたま火山観測の仕事のお客さんが到着予定だったので、
東海汽船が着く三池港に朝の05:00頃車を走らせてた。 神着から三池に行く途中で、空が少し明るくなり始めたころ巨大な噴煙を確認。 すぐに役場に電話したところ、まだ未確認のこと。 家に残っていた妻、知り合い等に電話をかけまくって知らせた。 日が昇ったころ、上に上がっていた噴煙はだんだん下へ下がり横に進んできた。 そのうち港から見て正面の神着方面は完全に噴煙の中。
火砕流が通った家の中からのレポート
港でお客さんをピックアップし家に向かった。しかし、三池を過ぎて三七山まで来ると 走行は不可能だった。火山灰が20cm近く積もっていたのだ。 Uターンして阿古周りで神着に行くことにしたが、阿古に着くと遠くに見える噴煙が ひどく、測候所付近の人に電話をすると、走行は不可能なようだ。 また坪田に戻り、そのお客さんを役場に降ろし、家に帰るために車で向かった。 美茂井まで何とかたどり着くと、なぜか美茂井からは火山灰が濡れていて走行不能。 雨も降ったようだ。 仕方が無いので、歩いた。 10cm位の泥の中を歩いた。サンダルが脱げた。裸足で歩いた。。 家につくと木は倒れ建物は真っ黒。 はっきり言ってどうしたらいいのか、わからない状態だった。 どこから片付けるか〜と考えているうちに全島避難が決定。 9/3までに島を出ろだと。。 結局、家の周りの火山灰は、あのままで逃げてきた。 今、いったいどうなっているのか? 見に行くこともできない。 あんなにひどい状態だったのに、避難してから見たビデオやTVなどにうちが 映ったことは無い。 きれいな地区はよく映る。 聞けば、最近船を取りに帰ったとか。 なんで船は取りに行ってOKなのに、車やら自分の商売道具はダメなのか? 作業で人は実際入っているのに、なぜ一時帰島はさせないのか? 避難している現在もそうだが、噴火中も疑問だらけの2000年三宅島噴火だ。 大体2000年三宅島噴火って正式名称なのか? ホントは名前もついてないのか? それともこれくらい、たいした事ないのか? 騒がないで、我慢していればいいのか?