伊達市立有珠小学校5年生の作文
カルチャーセンターにひなんしにいくとき あすか 3月29日午後1時30分ごろに有珠にひなんかんこく がでました。わたしは前の日にひなんする用意をしまし た。わたしはほんとうはするんだったらはやくおわるよう にとおもいました。必要なものは全部持ちました。それ で車に物をつめ二人でカルチャーセンターにひなんしま した。それで場所をとってまずふとんをひきました。それ からたいへんな日が続いて、今思うことは、もうふんかし ないでほしいということです。有珠小にもどれて、おもいき り天下をしたい。 |
もうふん火するなうす 嘉信 なんども地しんがおきひなんした。そしてとうとうう す山がふん火した。しばらくして潤平から電話がきた。 潤平のいるとこの電話番号をおしえてもらった。でも電 話しなかった、うすでしゃべるためにだ。そしてうすにか えってきたさっそく潤平とあそんだ。こんどふん火したら いるものもってしっぽまいてにげだすとみずからの心に切 ざまれている。 |
有珠小に戻って 千智 三月二十八日に、ひなんのじゅんびをして、 次の日の、二十九日に、ひなんめいれいが でました。だから、お父さんがかえってきて、 「ひなんするかぁ。」と、いいました。 四時に ひなん場所にいきました。 ひなん生活をする のは、カルチャーセンターのこうどうというところ です。 友達がこうどうにいなくてつまらないか らはやくかえりたいなぁと思っていました。 で も、ともだちがいたので、はやくかえりたいなぁ と思うのがすこしなくなりました。 でもやっぱり 家にかえりたかったです。 二週間たってすこし 日にちがたち、四月十三日にかえることになりま した。 伊達小で十三日の勉強は、四時間目か らそうじで、つくえ運びが大変でした。でも、かえ れるのでうれしくてつかれなんてとんでいってしま いました。 バスで有珠小に行きました。 ひさし ぶりなのですごーくうれしかったです。 でも、体育かんのガラスがわれていて、地面の 一部分がとんでいました。 そして、四月十七日 にひさびさに、学校の中に入れたのでうれしかっ たです。 |
カルチャーセンターの思い出 美和 |
有珠小の人と勉強をすることになって 昌子 私は、虻田から、カルチャーセンターに来て、有珠小 の人たちと勉強することになりました。 有珠小の人た ちには、ようち園で同じ人もいるので、よかったと思い ました。 しばらくは、伊達小で勉強することになって、一週間も たたないうちに、有珠がひなんかいじょになりました。 私は、もう、みんなとはおわかれだなと思ったけれど、 お母さんが、「虻田がひなんかいじょになったら帰るよ。」 と、言ったので、とってもうれしかったです。 本当は、虻田小にもどりたいけど、有珠小の人に、学校 の中をおしえてもらって、本当の、有珠小の人になりきりた いです。 |
ひなん生活の出き事 亜実 私は、今まで、ひなんしてて、良かった事は、 いとこの家で、たくさん遊んだ事です。 いと こは、女の子で、4年生の彩ちゃんと、3年生 の香菜ちゃんです。毎日、たくさん遊べて、と ても楽しかったです。特に楽しかったのが、64 のマリオカートと、バイオハザードです。64はノ コノコビーチが、楽しかったです。バイオハザー ドは、ゾンビとかでてすごーーく楽しかったので すが! 自分の家じゃないためか毎日、きんにくつうに、 なってしまったのです。それは、どんなにいたか ったか・・・・。 それから数日後・・・・。家に帰れたのでーす!! 「家に帰れるのが、こんなに、うれしいんだなぁ。」 と初めて思いました。 有珠山ふん火も良い体験 だなぁと思いました。 だが、有珠山ふん火はまだ まだ続きそう。 |
バカブラザーズわかれる 潤平 バカブラザーズいつもいっしょだった。だがとつぜん 有珠山がふん火となった。オレは、温泉にひなんした。 よっちがいると思った。いなかった。しばらくたってだて 小学校に、通うこととなったよっちがいると思った。いな かった。いなかった。いなかった。いなかった。ついでに まゆもいなかった。いなかった。 いなかった。いなかった。せんせいもかわった。有珠に かえれる日が来た。それで、いまここにいる。またひなん となったらやだ。 やだ。やだ。やだ。やだ。本当にそうなったら、本当に。やだ。 |
有珠小に戻って 康太 3月28日に有珠山の火山せい地しんが多くなって きました。それでごごの5時ごろ武道館にひなんしま した。その夜はぜんぜんねむれませんでした。 それから数日間今日こそふんかする今日こそふんか すると思ってたけどなかなかふんかしないのでだんだ んいらいらしてきていました。 3月31日にお父さんの はたらいているかい社のりょうにご前中うつりました。 そしてその日のごごついにふんかしました。 ぼくはふ んかするときは今まででいちばんつよい地しんがおきて ふんかすると思っていたけど音もなくふんかしたのでびっ くりした。4月12日に有珠に帰ってきてすごくうれしかった です。 |
ひなん生活について 真哉太 3月29日、ひなんけいこくが、出されました。ぼくがようい していると、「早くいくよ。」 と言われてしまいました。ぼくは急いでよういをしました。 武道館にいくまですごく長いれつの車でした。おかあさんが、 「ちかみちするよ。」 と言ってちかみちにはいると 「ちゃんとつかまっててよ。」 と言っていきました。武道館には人がたくさんいてびっくりし ました。武道館には、しずかちゃんとあやかちゃんとかつやくん、 としょうこちゃんがいました。ど中かがあいていたのでそこにい たけど、こうたかぞくがいなくなったので、かどもまどぎわにいき ました。3月19日やっとうちにかえれました。うちがいちばんだ と思いました。とてもうれしかったです。 |
有珠小に戻って 明博 ぼくは、有珠小に、もどって来てとてもうれしかった。伊達小は、 つまらないし、伊達小の人とも一言も話をしなかった。だから有 珠小に戻って来たから、有珠小の低学年や中学年の人といっぱ い話をしたり遊んだりしたい。そして有珠小でできて伊達小でで きないたっきゅうをしまくって遊ぶ。そしていろいろな人とたっきゅう をしたりする。ぼくは有珠小にもどって来てとてもうれしかった。 もしまたひなんすることになったらきっとまた伊達小でべんきょうす ることになると思うから有珠山のふんかをやめてほしい。 |
わたしのひなん生活 希依 ひなん生活でたのしかった事は、みわちゃんと、昌子ちゃんと、 きえと、のぶくんと、あそんだことです。のぶくんはきえよりとし 上です。のぶくんの名前をしったのは、のぶくんの友達のお兄 さんの妹が、 「のーぶーくん」 といったから私達もまねして、いいました。のぶくんとは、希依を いれて、3人で、のぶくんにボールをとられないようにしてあそん でました。だけど、ボールがとれない所にいったから、もうあそべ ませんでした。だけど、かんごがっこうの人と仲よくなりました。 でも、きえは、泉ちゃんと仲よくなって、せい子ちゃんは、育ちゃん と仲よくなりました。かなりたのしかった。ひなん生活、ごはんは、 自分の家でたべたほうがいいけど、あそびは、カルチャーセンター!! |
わたしのひなん生活 まゆみ わたしがひなん生活で楽しかったことは、「大和小」に行ったこ とです。友達もできたしいっぱい大和で遊びました。でもやっぱ り家のことが心配でした。しょっきはどうなってるか、とか、ひび が入ってるかとかいろいろなことが心配でした。でも1時きたくで 家は、なんともなってなくて、安心しました。そして大和に帰って きたらごはんがありました。ごはんは、おいなりさんで、ごうかで した。これがひなん民の食べる物と思えば、これからもごうかだと 思って、ウキウキしました。そして有珠かいじょになって、家に帰っ てきました。その夜はぐっすりねむれました。 そして有珠小にもどってきてみんなに会えました。うれしかったです。 |
ひなん生活から今まで 優太 3月28日、有珠山の火山せい地しんが多くなった。その夜は 全くねむれなかったです。 3月29日、午前8時ごろりりこの家にいった。午後1時30分 ごろ有珠にもひなんめいれいが出た。おばあちゃんとおじい ちゃんは、車の中にふくやずぼんやくつしたを入れてきたらしい。 ぼくはその日から有珠に行かなかった。かなしかった。 3月20日の夜からじしんが少なくなった。あらしの前の静けさだ からふあんだった。 3月31日、午後1時10分ついに有珠山は西山の山ろくでふん かした。どすぐろいけむりがもくもくとふいた。きんちょうして不安 だった。こわかった。 4月1日、金ぴら山でさいふんかした。 4月2日か3日、ふんえんのなかで火山雷をかくにんした。ちょっ とびっくりした。 4月10日、伊達小に行った。そこにはまさこがいた。なんでいる かわからなかった。みなんにあえてうれしかった。 4月17日、やっと、有珠小でべんきょうした。うれしかった。あと よっちにあえてうれしかった。 |
自分の家に帰って来た時 大地 だて小に2時にいた。そしてバスが来た。 (これにのって15分ぐらいで有珠につく…。) そんなふうに思っていたらけっこう早くついてような気がした。 セイコーマート前でとまっておりた。「あとは、すこしあるくだけっ。」 と、思ったら、なんとそこにはあすか(3年の)のうちの車があった。 犬もいたのっけてもらった。家につくのが早くなってよかったと思った。 あっというまに家の前。さっさと入っちまえというかんじで家の中に 入ったしゅんかん……………れいぞうこがみえた。 「いつものこうけいだし。」 と言った。そこからすぐさまつくえへ走った。 けっこうなつかしかった。ほんとにいつもどうりだった。いつもどうりへ やはちらかっていた。じしんのせいでもあると思った。そしていつもど うり水をのんだ。だて小の水よりつめたいような気がした。いつもどう りじてんしゃにのって、あっきのうちに行った。ひさしぶりのじてんしゃ だったからすずしかった。 |
カルチャーセンターから家にもどって 悠聖 カルチャーセンターで、いっぱい友だちができた。その人は、のぶくん です。 その人は遊んでくれて、楽しい人です。そして、今、うちにもどって、 ちょっとさみしいけど、うす小にもどってうれしかったです。 月曜日、学校に行こうとしたら、おなかがいたくなったので、家でねて ました。なおって学校に来たら、新しい人がいて、その人は、二人でした。 小野まさ子 ちゃんと山田ゆう太君でした。山田君と遊んたことがあるから、こんども、 だからあそぼうとおもいます。 |
ひなん生活がおわって 勇太 ぼくは、たくさん、ひなんじょを、かえました。さいしょは、あぶ中、そこで二〜三日ねとまりしました。そして四日めひるごろに、あぶ中もあぶなくなったので、次にあぶ高にいきました。そして二日目に、さっぽろのしんせきの家にいきました。それから一〜二週間して、学校がはじまるときいて、だてにいきました。そこには、同級生の、原田君がいて、毎日、あそんでいました。そして、一週間たって、自分がいる、だて小に通いました。そして一日で友達が3〜4人できました。そして三日、だて小にいって、うすのばあちゃんの家にいきました。ぼくは「火山のふんかってたいへんだな」と思いました。 もしまた大きなふんかをして家がなくなるもしれない、 そういうことになったらどうしよう。 |