2000年有珠山噴火火山活動現況報告会

平成12年6月1日 19:00〜
場所 虻田町立 虻田小学校体育館

主催 虻田町

講師 北海道大学理学研究科教授 宇井忠英 岡田弘

19:00 開講
虻田町助役挨拶

講師を紹介いたします
岡田弘教授 (拍手)
宇井忠英(拍手)

この後説明がございまして、その後質疑応答の時間を持ち、8時半に終了の予定です。
説明の前に宮崎町長よりご挨拶をいただきます
19:05 町長挨拶
本日は7時という遅い時間にかかわらず、住民説明会にお集まりいただきありがとうございます。
噴火でたくさんの町民が避難し、まだ家に帰ることができない方もおり、心からお見舞い申し上げます。
有珠も沈静化してきたように見えますが、またいつ噴火するかわかりません。
そんな中、お忙しいところを両教授にお越しいただきました。

1日も早い虻田の復興につとめていく所存です
19:10 岡田教授あいさつ
助役 説明の前に岡田教授からご挨拶をいただきます

岡田教授

皆さんを前に、今火山がどういう状況か説明する機会を作っていただきありがとうございます。
1987年7月にテレメーターという機械を設置し、観測を開始し、その後4年に渡る火山活動を記録いたしましたし。(中略)
これらの記録を、さまざまな先生方と社会にどう役立つかということも論議いたしました。
今回は、前回の経験が役立ったと思います。
自然が動き出す時、人はどうすればいいか。
行政・マスメディア・研究者、そしてなにより当事者である住民の皆さんの協力があってこそ、であります。
虻田でこうして話すのは過去に4回あります。
1回目93年は雲仙・北海道南西地震の後
2回目94年は消防関連の講演会
このときには、前の町長の、岡村町長が画期的な発言をされており、それが役立ちました。
どこが危険か、住民が知っておくことが大事である。ということで、ハザードマップを作ることが重要だと話されました。
3回目は95年、昭和新山生成45周年の講演会で、このときにハザードマップを作成
4回目は防災講演会でした

今回、火山防災に関して町民のみなさんが防災の知識を持っていることが役立ったと思います。
19:15 ビデオ上映
宇井教授

上映の前に、わたしの自己紹介を少しいたします。
わたしは有珠火山観測所にいるのではなく、札幌で地球科学の講座をしております。

(ビデオ上映)

・3/31 西山噴火直後の様子

・4/9  金毘羅山の噴火の様子(横を温泉が噴出して流れ出ている)
・川からあふれて、道路を流れている。
・泥流が湖まで届かず、引っかかった橋で流れが滞り、町に流れ出している

・4/18 噴火の様子
・31日は噴煙が灰色でsが、18日だと白くなっています。
地下の水が、マグマで熱せられた岩石と触れ合うことで、湯気になっている。
※ この時圧力が高くなると、爆発するわけです。(宇井教授の説明より)

・60いくつもの火口ができた
・地下水が減っている→火口の中を覗ける時があるが、9日あたりは溜まっていた。

・浄水場から金毘羅山の低い側への空撮。
金毘羅山火口から、連続して噴煙が上がる
※ これを炸裂型噴煙と呼んでいたら、そのままマスコミが報道したこともあります(笑)(宇井教授 談)

・消防局の建物
傾いて屋上の隅に水溜りができている(隆起により傾いている)

わたし(宇井)の研究は、火山灰を採取して、それを分析する研究なのですが、31日は新しいマグマが半分ぐらい。その後どんどん減って行き、最近は古い物質のみ。水がマグマの上昇を抑えていると思う

・西山麓の断層
下から押し上げる力のかかり具合が違うので、だんだん畑のようになっている。
230号線はズタズタ。横に火口もある。さらに噴石が飛んで道路に穴をあけている

・西山斜面にたくさんの火口
※ 火口横には灰が積もっているが、少し離れると木々の緑が見えます。(宇井教授の説明より)

・砂防ダム近辺
住宅の屋根が落ちている。火口の横に噴石による1〜2mの穴アリ

・温泉街
東側から、どんどん山に近くなるにつれ灰色になる
流動路にかかっていた橋は西側の岸に乗り上げている
←中央のあたりに、橋が乗り上げている (写真は北大教授 宇井先生撮影のもの)

噴石について

金毘羅山の火口の映像、岩石のかけらが飛んでいる。
噴火の勢いが強くなければ、飛び跳ねた石がまた火口にもどっていく。しかし、勢いが強いと、火口の外に飛ぶ。
上空から見たところ、かなり遠いところまで飛んでいる。
最近は火口のすぐ近くに飛ぶ程度

聞いたところによると、温泉街の中まで、握りこぶし大の石が飛んでいたとのこと。
19:45 資料説明(OHP)
※ OHPのピント合わせで最初手間取る

宇井教授説明

1 国土地理院の測量による火山土地条件図
※ 3月に発売されて、その後すぐ噴火したため売れに売れて、今は手に入らないと思います。(宇井教授 談)

有珠山は2万年〜7000年前まで、富士山のような成層火山だった。
それが崩れ、また噴火し、という繰り返しで今の形になっている。
有珠の噴火としては、外輪山〜山頂における噴火と、裾野で小規模に噴火し、地面を盛り上げる噴火があり、盛り上がりの度合いとしては、直径1キロ程度、高さ100〜200mぐらいの盛り上がりを見せる。

従来の傾向から見ると、現在噴火しているところから昭和新山方面の5キロ、滝之上〜長和の2キロの範囲内で溶岩ドームの無い隙間から噴火するのが一番でやすい形

2 自衛隊提供による航空写真に基づく断層・火口位置図

西山の西山(西西山と呼んでいるそう)の火口群あたり(国道230号線の真上)に東西に断層が並ぶ
金毘羅山火口群から西山火口群へ向かって南北にも断層がある。
その他、有珠山北西部に断層、洞爺湖畔に断層あり

断層のたくさんあるところほど、変動が大きい。

3 高さ変化の図

7年前のものと比較し、盛り上がりを算出したもの一部50mほど盛り上がっている
西西山の麓(火口群のあるところ)の隆起が激しい。金毘羅火口のほうは、あまり盛り上がってはいない
入江地区も少し盛り上がっている

4 水平方向の調査

西西山麓を中心に、放射状に広がっていることがわかる

5 レーザー測量による隆起分布図(壮瞥町で使用したものと同じモノ)

3/31に1回目を行っている最中、噴火があり、測量を中止して戻ったため、左下が欠けていますが
その後再度実施し、この分布図を作った。
新聞で65m隆起という報道になった、元データがこれです。

これらの資料により、西西山の地下に何か中心があり、押し上げるようにしていることがわかる
西山は古い溶岩ドームであり、その西方に位置するところも200万年前の硬い地層のため、比較的柔らかい所にマグマが上がってきたと考えられる。

※ ここで岡田教授にバトンタッチ

岡田教授の説明

1 地震回数のデータ

1967年から有珠山南に気象庁が地震計を設置し、監視観測を行ってきた。その間に2回の噴火があるわけで、かなり資料が集まった。
図表は、地震回数をグラフにしたものであるが、77年の噴火時に急激に地震回数が増え、その後4年7ケ月の間、右肩下がりに地震回数が減って行き、ある一定のところで、ストンと元の低いレベルに下がっている

前回の地震のときは地震回数が増えてから噴火まで32時間、4年後、群発地震を起こして、ぴたっと地震が止まった。
その後、92年頃から少しづつ増えてきた指摘があった。
3月から頻繁に地震活動が起こり、マグマが出たがっていることがわかった。
※ 前回と同様に、ストンと止まるとうれしいが(岡田教授 談)

4月から、データは安全なところに置き、いざというときは壮瞥から逃げようという計画だったのですが、
1年早く噴火したと(笑) [ 参考 2000/05/13 室蘭民報 ]
臨時観測所を、伊達球場にプレハブを建て終わったのが31日に噴火1時間前でした。
おかげで観測を途切れさせずに済みました。
全国の協力体制も有り、合同観測班を結成し観測にあたっているし、九州・東北大の先生は、噴火前から協力してくれました。

2 地震発生位置図

噴火前の地震発生位置図 → あちこち散らばっている
噴火後の地震発生位置図 → 主に地下5キロあたりに集中している

噴火前は、山頂北西部でも頻繁に地震が起こっている
「地震のない場所」を空白域と呼んでいるが、この部分は、地下から上がってきたマグマではないかという考え方が有る。
前回は爆発的な噴火であったが、今回は噴火自体は小さいが、動いているマグマの量は多い。

思うに、最初、マグマは、完璧な頂上噴火を狙っていたが、一部が西にずれ、浅いところに流れ、西山、金毘羅で水と接触し、噴火したと思われる
一時期は隆起が激しかったが、最近は10センチ程度に収まっている。
このまま続いて、マグマが地上に顔を出すかもしれない。

西山から放射状に水平方向への押し出す力が働いている、洞爺湖幼稚園あたりでは、いまだ変わらず動いている。
JRや道路に与えるひずみの原因はこの水平方向への力のベクトルが原因。
マグマがいまだ深いところから西山近辺に入り込んでいると思う。

文責 後藤基継@室蘭

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