どうなる三宅島 聞け島民の声を!


 手に持てるだけの荷物を抱え、数週間の避難生活で帰島できるだろうと船こ乗んで
から早くも一ヶ月が経過してしまった。都営住宅へ入居し生活用品の提供を受け、市や
町、ボランティアの方達の協力を頂いて、一応の生活環境は整った。ありがたいものだ。

 しかしいまだに三宅島雄山は噴煙を上げて有毒ガスを出していることから、帰島の見
通しは立たないとのニュースを見て、これからの生活を含めて不安が大きいのは避難島民
の共通の悩みではないだろうか。そんな中、こんな信じられないことが起こっていた。

助役人事の否決は島民の避難生活と今後の復旧復興に影響はないのか

 同じ住宅に入っている島民が集まれば、不安話に終始するわけだが、やはり頼りになる
のは役場であり東京都になるだろう。村長にはぜひとも頑張ってもらいたいと思うが、
気になっていたのは全島避難が決定したその日(9月1日)に東京都からわざわざ配慮を
頂いた助役候補を議会が否決をしたということだ。その経過については各関係者の話で
大きく違ってくるので真実がはっきりしなかったのだが、10月4日に南大沢で開かれた
島民集会〈周辺入居者の自治会立上げが議題の中心のはずだったが)の席に、反対をした
と思える議員達が出席をし、代表としてなのか議長が弁解じみた発言をした。
「私たちは議員個人の考えによって信念を持って判断し反対したもので、それを外部に
とやかく言われるのは心外だ。今後、議会と行政がうまくいかないと、結果的に村民の
皆さんに迷惑が掛かるが、それでいいのか。過ぎたことは結果だから仕方ないだろう。
これからが大事だ」と。責任逃避だけでなく、脅しまでかけてくるとは恐れ入った。

当然、会場では議長の話の間にも批判のヤジが飛び、拍手をする者など一人もいなかった。
しかも議長の「私の家も泥流に埋まった」との発言に「そんなのは関係ない」と一斉こ反
発され、中には「沢の上に建てた家のくせに」との小声も聞かれるありさま。
 こうなると住民の発音は「人事否決」に集中し、議員は苦笑いしながらメモをとってい
たが、ついに最後まで反省をする姿勢、発言は見れなかった。否決の正当性をいくら並
べられたところで、島民の目は節穴ではない。印象的だったのは、ある村議員経験者に
「人事の件で石原知事におまえらバカか」といわれても反論できず、かといって反省も
しないようでは、知事お墨付きのバカだ」との発言に、反発する議員は一人もいなかった
ことだ。否決の時に見せた彼らのいう「プライド」とは、実に薄っべらなものだ。

 本当は解かっているのではないだろうか、まずいことをしたと。
 ズバリ「三宅島の立場」を無視し「村長への個人的な嫉妬心」から否決をしたのではな
いか。非常時でもあり、村長が無投票で出たということで、内外に「三宅島はまとまつっ
ている」と示せた矢先の否決だった。島民の代表であろう者が個人的な感情を持ち込ん
でよいものか。当選してバッジをつければ、あとは議員個人の考えだけで判断してよい
のか。行政、議会は車の両輪というならば、この時に示さず、いつ示すのだ。我々一般
島民でさえも、否決をしたらどう影響があるかくらいは解るのに、どうして.......。

噴火による島内避難中にあった石原知事の「こっぱ役人発言」が実は「村長経験もある
こっぱ議員の軽率な行動」が原因であったことをテレビや新聞で知ったが、議員の「質」
そのものに疑問を感じる。あれだけ島民のためにと訴えて当選してきたにもかかわらず、
結果は島民の足をひっぱることばかりだ。

非常識な議員の行動が、三宅島の常識と思われたくない

 三宅村の議員は全島避難の際、数名が自主的に島に残っただけで、大半は我々一般島民
と同時に東京へ避難をした。議員が議員を見送る皮肉な光景があったわけだが、道義上
も島民全員の避難を見届けてから自分達の避難ではなかったか、その感覚に首を稔るばか
りだ。そればかりか東京に出てきてからの議員としての行動(同行しない議員もいたが)
を聞いて、呆れてものも言えない。まずは議長を先頭に島民の受け入れをしている各市
や町を訪れてお礼の行脚?をしたという。村役場(村長)が挨拶に回っていない段階で、
これを議員がするのに疑問はあるが、ここで問題なのは、その市や町に避難入居している
島民の住所を含む名簿の提出を要求していたということだ。議員として「プライバシー」
を何と考えるか。三宅村に求めたのならばまだしも、他の市、町に要求するなどという
非礼、誠に情けない。しかも、人権村長を常に訴える日本共産党公認の副議長までもが
要求に同調していたらしい。まさに不法地帯からやってきた非常識集団と化している。

 非常識といえば、こんな光景を目にした。ある市で避難者との交流会が市職員組合の
休日を返上してのボランティアで開催され、避難者はおおいに助かったわけだが、ここで
テレビ取材をしていた人に向かって「おまえら何やってるんだ、俺達は見世物じやないぞ」
という人がいた。実はこの人、三宅村の最長老議員で、三宅島商工会の会長でもある。
「市の多くの方から衣料品や生活用品等の善意の提供を頂いた。これがどのように避難
された島民の方々にわたって喜んで頂けたかを伝える方法の一つとしてマスコミに開放し
たもので、決して皆さんを見世物にするためにやったものではない。解かって下さい」
と関係者が震える声で言っていた。本当に恥ずかしく、同じ島民とは見られたくなかっ
た。善意をたった一言で踏みにじることは許せるものでない。しかもそれが島民の代
表ならばなおさらだ。ちなみにこの議員、抱え切れないほど多くの物を持ち帰った。

なぜ三宅村議会としての職責を果たさない

 議員個人の行動でも三宅村の恥(世間はそう見る)をさらけ出していた時間があったわ
けなので、当然のごとく東京都や国に「噴火災害に伴う支援」を陳情に行っているものと
思っていたが、一力月たった現在も何もしていないという。実にあきれた。なぜだ。
それが議会としての一番先にすべき仕事ではないのか。人事の否決の件で足を向けられ
ないのか。いや、行ったところで相手にされないことは目に見えているし、これだけの
非礼をしてきた集団なのだから、行かないほうが印象がいいかも知れない。だがバッジ
をつけている以上、職責としてやらなければならない。島民のために。これら一連の行
動が正当で島民のためになっていたというならば、堂々と島民を集め釈明してもらいたい。
 今後のことを考えると、責任をとって静かにバッジを外すのが島民のためだと思うが。
「避難島民」が「非難島民」と言われないうちに、三宅島民の正義、常識を示そう。

  平成12年10月6日  三宅島民の声を伝えたい有志 菊地忠男 浅沼義幸 森下修吉
                          吉田 和 川口房歳 山本隆
                          広井誠二 大島 章 他多数