告白します。みなさん、聞いてください。 9・8 三宅島から消防団離任に当って言われた事です。 当日、青山副知事来島で、長期化の見通しのため、健康管理を視野に入れた、ローテーションの充実が必要。との防対会議の意向を受けて消防団長から発表があったばかり。(役割分担手配済み、待機中) 午前9:00 三宅村役場会議がありました。(船内会議)消防団長、高田部長(分団長代理出席)、各分団長出席 会議終了後。神着分団船室にて、内容発表がありました。(若干一名頭に血がのぼった状態) 当時、ノートに書き写したままに書きます。
とりあえず、この時点で消防団長以下、くびになりました。 村長、総務課長の弁明(三池港に移動後の) 本部と船内の連絡不足により招いた結果であり、皆さんには大変な迷惑をかけた。 本部からはそのような指示は出していない。誤解ということで、、、。 との申し入れがありましたが、三宅島村長、総務課長、分団長に消防団員を辞めることを通知して上京してきました。 (何のために今まで、、、、寂しくて、辛くて、惨めでした!) 残った人もいますし、離任した人もいます。新たに参加した人もいます。 現在の三宅島は、指揮命令系統が麻痺しています。村に対しての信頼が置けないというのが本心です。 行動してもしかたが無い、言っても分かってくれない、と言うあきらめ気分が先に立っています。 でもこれでいいのでしょうか? いいはずはない! 三宅村に要求します。私を三宅村の臨時職員として雇ってくれ。 金が無いのはわかってる。判断できないのもわかってる。 さっきやっと自分の寝床となるアパートに着きましたが、電気がつかない。水道が出ない。ガスがつかえない。一人暮らしの歳よりなんて、気が狂っちゃうだろうね。いまさらながら大都会で一人ぼっちになる恐怖を感じています。 俺たちはいい。当面やるべきことがあるから、そのことをしていれば一日が過ぎていく。 だけど俺たちを育ててくれた、歳よりはどうするんだ。村が助けずに誰がやる。 9・5 離島した職員はいったい何をしていたのでしょう。ある職員に聞きました。 Q あの後どうしてたの? A 1週間、お休みを貰いました。 まあ、役場の職員と言えども疲れているから、休むのもいいのかな。 でも、今日ここに来て(自分の都営住宅)、 前言撤回、ばかやろう。ふざけるな! きみらが休むのは、バラバラに散っていって、不安に思っている全島民の安否の確認が済んでからだ。一軒ずつ自分の足で歩くことだ。こんな環境に、一人暮しの歳よりなんか置いといたら気が狂って死んじゃうぞ! 村長。早く助役人事を解決してくれ。議会。村民の意思を汲んでくれ。 村が出来なきゃ俺がやる!俺たち若いもんがやる!! 俺を雇ってくれ。村で出来なきゃ、都に頼んでくれ。 村をはじめ、俺たち若い者がやるべきことは、 なれない東京暮らしをしている村民の安心感を作ることだ! 一人っきりになっても、 三宅の仲間が近くにいるぞと知らせることだ! みんなでやろうよ!!!!! 出来ない村なんかぶっ壊せ!悔しかったらやってみろ!壊した物は、また作ればいい! 今、この困難を乗り切るためにも、一つずつつぶしていこう。まずは自分の足で歩こうよ。 |
青山 敏行