天神太鼓も墓参りも、おしゃくさまも富賀様も、噴火の雄山さえも、三宅島で 生まれた文化なんだ!!  

東京島嶼(とうしょ)はひとつなのだ!! 島魂ガンバれ!!

神津島村議会議員 大野和臣

 三宅島の有志が持っているホームページ「島魂(とうこん)」の主張「天王様やらせてくれ!!」を見た。

「今年はサー。お盆って無かったンだよネ」、

「こんなことになるんだったら、島を出る前墓参りして、死んだ親父とキッチリ話をしてくればよかったナー!」

「仏壇もそのまんま。位牌を持って来ると帰ってこれないと思うから置きっぱなし」

「三宅に帰って三宅の真っ青な空の下で、豊かな大地に足を踏ん張って、
ナライのテッパツん中、西のテッパツん中、思いっきり風を感じて、(天神太鼓を)みんなで一緒に叩きてェー!! 」

「すごく悲しいしサミしい!。ほんとに帰りたい...。ダーレも分かってくれなくてもいい!!帰りたい!!」。

 言葉は乱暴だがふるさとの島を離れざるを得なかった島民の心情。涙なしでは読めなかった。

 そしてわが神津島の明神さま(物忌奈命神社)の崩壊。その復興に「信教の自由の観点から、公費は出せない」という国・都の行政の「冷たい言葉」がギシギシと心にクイ込む。

  国・都の行政の言葉も、憲法の建前から分かりすぎるほど分かるが、われわれがそれを「冷たい」と言うのは、そこで生まれ育ったわれわれにとって、明神さまは生活と一体のものだからだ。

 明神さまの祭 りは真夏なので西風のテッパツこそないが、島のタツキを支えた「鰹釣り」 が神事となり、幾百年の伝承・民俗の文化としてわれわれを支えてきたのである。

「板子一枚、下 は地獄」の漁業者の祖先が「安全」の願いを込めて奉納した「鰹釣り」作業の戯画化。
それは「今日の安全を確認した漁師の感謝の表現」でもある。

 それが 今年はできなかった。

 三宅島の天神太鼓も、同じに違いない。

 彼は言う。「俺達の住処はサー、三宅 なんだよ。島なんだよヨ。雄山と一緒になって暮らして来たんだヨ。」と。

 一 日も早い安全な帰島を祈っている。

 そ して、もはや東京諸島は島単位ではない。

諸島ではなく「島嶼」として、共にガンバろうというエールを送りたい。

  私の母 だって、三宅島伊ガ谷の出身だ。

 くり返す。

 東京島嶼はひとつなのだ!!

 ガンバれ、 島魂!!

 

 

注) この文章は11月5日に発行される「一騎當千」に掲載される予定。
「一騎當千」は、大野議員が神津島島民向けに個人で発行している文書で、 島内に130部、島外に20部、希望の方に配布している。
内容は、主に行政の動きとその内容や意見等、議員本人の目を通して感じた事を 書き綴ったもので、月一回、不定期の発行だが、現在は、議会が頻繁に行われているため発行ペースが速く、  2週間に一回程度となっている。

編集:藤井