有珠山の仮設学校から、先生が秋川学校に来た!!

学校と親との間にあった溝を災害が吹き飛ばしてくれた!!

                (佐茂先生が有珠山の噴火の時に発言した言葉です。)


洞爺湖温泉小学校、佐茂先生、横山先生、秋川訪問。

「学校も役所的なところが会って、噴火当時は情報をすべて出したとはいいがたい。
親としばしばぶつかり合ったことも、あるときは罵声を浴びせられたこともありました。
しかし、すべての情報を公開し、ともに考えましょう、という風になっ たときに、すべてがいい方向に変わりました」

1:40到着。

 

2:00〜 各小・中学校の養護の先生との懇談会
<各学校養護の先生9名(都の保健婦を含む)前沢教頭先生(三宅小学校)>

各小・中学校の養護の先生との懇談会

元気だった子供が不登校になった子供もいるし、 不登校状態の子供が逆に登校するようになった生徒もいる。
当初、生徒、教員ともにバラバラになってしまったので、合同学校を再開しても生徒の頼るべき先生がいない、
逆に心配している生徒がそこにいないなどという問題も出てきていた。

バスで登校するようになったが、言葉遣いが悪くなったり<添乗員にくそばばぁ等と言うようになったり等>
夜遅くまで外で遊んでいたりと、そのことで避難所でのストレスを発散していたようにみえる。
3ヶ月目ぐらいでそういった事例が多く見られた。

洞爺湖の場合、収入の道を断たれた人が多く、そのことにより家庭崩壊の 危機にある家庭もあるが、お金がない状態なので何もあげられないので 友達だけは無くさないようにしてあげたいということで、近くに戻ってきたが、いまだに仕事がなく難しい状況が続いている家庭もある。

三宅 前田先生>
三宅小は最初からカウンセラーが入ったが、温泉小学校はどうでしたか?

有珠 佐茂先生>
最初からも入らないし、今現在も入っていません。 一度だけ臨床心理士の先生が入られたことはある。

三宅 前田先生>
島の子供と比べると、洞爺湖の子供たちのほうがお話を聞く限り心理的が障害が多いと感じるんですが、なにか違いがあるのでしょうか?

<有珠 佐茂先生>
一度、一時帰宅によって自分の家や周りの状況を自分の目で見たことによって初めて、そのことを認めてしまったのではないだろうか? 三宅の場合、まだそれがないのでそこまでは行っていないのではないだろうかと思う。
三宅の子供がNHKの番組で「小さいこのしつけが大変だ」と言っていたのを見て自分がしつけてもらわなければいけないような子供たちが、さらに小さい子供たちのしつけのことで負担を感じているというのを聞いてショックだった。

三宅 前田先生>
縦割りで生活している中で、やはり高学年の子供たちには負担になっている部分がある。逆に、そういったところでリーダーシップを発揮してくれる子もいる。

有珠 佐茂先生>
温泉の場合、親の状況によって子供の環境や精神的な部分も変わっている。 家に帰れたところと、そうでないところ、そして仕事がある親とそうでないところ との違いが出てきている。

 

三宅島学校の先生方との懇談会

4:00〜

有珠 佐茂先生>
大変な中、このような場を用意していただきありがとうございます。
こどもたちが災害を乗り越えるという意味で、同じ境遇で問題を抱えている三宅を見て、いっしょに乗り切れればと思い、訪問しました。

3月28日の朝、車の中で火山性微動があるということを聞いた。
学校に着いた時にはすでに地鳴りがしていたので、必ず噴火すると確信した。
そのため、各家庭に、避難する際はどこに避難するのかを必ず一報入れてくれるようにまわしたが、その途中で避難勧告が出てしまった。 誰もが、すぐに帰れるだろうと思っていたが、そのとおりにはならなかった。
携帯が普及していたために、ほとんどの家庭と連絡が取れて居場所がわかった。
多くの家庭は豊浦に避難した、そこには入れなかった者が 臨時の職員室を設置して各家庭に連絡したが、避難所に入っている家庭はすぐに わかったのだが、縁故関係を頼って避難した家庭についてはなかなか居場所がつかめなかった。
豊浦の学校が4・1で閉鎖になるので長万部に移動したため、そこでまた各家庭の避難先の所在確認と各家庭を訪問して歩いた。 その間、組織立て動いていた、後になって聞いた話だが、行政としてはそういった動きをしてくれたので助かったと聞いた。新学期を向かえて、新入生に対してランドセルや学用品を用意して迎えた。
各家庭からの苦情や要望なども聞いて回った。 とにかく、何度も各家庭を訪問して保護者とのつながりを持つように心がけた。

避難所においては退行現象が見られたのも確かです。
プライベートな空間がなかったのもその要因の一つでしょう。
避難所においては、家族の時間がなく夜遅くまでみんなで遊ぶようになったり、 ボランティアの方たちと遊んだり、コンビニにたむろしたりということも起きてきてしまった。
その子たちがどうやって立ち直っていくかということを考えたときに、その災害を表現することで乗り越えていくことを子供たちが絵を書いていることや話していることを見て学んだ。
しかしその事は、ある程度、受け手がわの心構えが必要であると感じた。
子供たちが表現することで、こちら側がおろおろしたり、泣いたりしたりすることは 禁物だということ、そしてそのことを強要することも厳禁であると思う。
各家庭の苦情や問題点を聞くことで、現在はなんの警戒心もなく話をしてくれるようになった。

三宅 小笠原先生>
2つの学校が一緒になるということで、今まであった学校としての機能が失っていたと思うのだがそのへんはどのように対応していたのか。

有珠 横山先生>
まったく新しい学校のつもりで再建した。

三宅 前沢教頭>
児童数は何人いたんでしょうか?

有珠 横山先生>
154名です。

三宅 前沢教頭>
その子供たちの避難形態はどのようになっていたのでしょうか?

有珠 佐茂先生>
5月に虻田は自分の学校に戻った。 豊浦の学校から虻田の子供が抜けて長万部といっしょに再開した。 その後、2学期から仮設校舎が完成してそちらに移った。

有珠 横山先生>
その時点で127名になった。 一学期に一番そういった症状が多く見られたが、2学期に入っては少なくなった。 その時点で、子供たちの災害に対する表現だとかを始めた。

三宅 羽深先生>
子供たちが親と離れて暮らすということはなかったわけですよね?

有珠 佐茂先生>
はい、それはなかったです。

有珠 横山先生>
虻田と三宅は逆のような気がしてならない、親元から離れて暮らしている子供の事を考えると涙が出る。

三宅 前沢教頭>
当初は一時避難ということでこちらにきたわけですので、ここまで長引くとは思わなかった。
冬休みを親元で一緒に過ごすことで、帰ってきた子供たちの顔を見ると、いいリフレッシュになったようです。先生方もそうです。

有珠 佐茂先生>
虻田は長靴やジャンバー等で避難して夏になって困ったが、三宅は逆だと思うが子供たちの衣類などは間に合っているんですか?

三宅 前沢教頭>
おかげで各方面からの援助で助かっています。

有珠 横山先生>
学費等の就学費用などの部分はどうなっているんでしょうか?

三宅 前沢教頭>
全額免除になっています。

有珠 佐茂先生>
人事異動の時期で心配していたんですが、移動はなく凍結ということを聞いて安心しました。神戸の場合も避難してすぐは児童数が極端に減ったが職員数は減らさなかった。復興した際にまた定員を増やすのではなく、継続して子供たちがいつ帰ってきてもいいように対応しておくべきだと思う。

三宅 小笠原先生>
今は、国や都の対応が十分に行き届いているのでいいのですが、島に帰ったときに それらのことがすべてなくなったときがちょっと怖いですね。有珠の場合も避難形態はバラバラだったんですよね?

有珠 横山先生>
そうです、ばらばらです。 三宅島と違って地域のコミュニティーがどうのという問題もあまりない。

有珠 佐茂先生>
小さな地域なのだがあまりほかの人に関心がないような気がする、仮設住宅で子供が鍵盤ハーモニカを練習するといってやっていたら、「うるさい!よそでやれ!」と怒鳴られるようなこともある。
温泉街ということで外から入ってきている人が多いのではないかと思う。

有珠 佐茂先生>
虻田の場合、避難所に電話やパソコンを入れていただいたが、三宅の場合、それがないというのはなんででしょうか?

三宅 前沢教頭>
職員室や、各要所にはついたんだが、子供たちには公衆電話ということになった、 その使い方に問題が出るのを考えたのだと思う。

有珠 佐茂先生>
虻田の避難所においてもそういった問題はあったが、大人たちがよりいっそう気をつけていた。

有珠 佐茂先生>
学校にこられた方が、「いや〜思ったより元気でよかった」という言葉をよく言うのですが、それは表面的にはそう見えても、子供たちは必ずしもそうではないという事をわかってほしい。学校にカメラが一年中入ることへのストレスや、そういったイベントや行事が頻繁にあることへのストレスがあると言うことをわかってほしい。

有珠 横山先生>
子供が親から離れて暮らすことを考えた時に、すごく大変なんだろうなと思って来たが 必ずしもそうではないということがわかってよかったです。きてよかったです。

三宅 小笠原先生>
虻田の子供たちが三宅の子供たちにできることが何かないかな〜と思ってる。
片道通行ではなく、お互いにつながりができればいいなと思っている。
パソコンなどで、メールのやり取りなどができれば一番いいと思ってます。
今日はありがとうございました。