宇那木 百合香@金沢 
有珠山ネットに参加して

私が有珠山ネットに参加して、ほぼ4ヶ月になる。私の故郷は虻田町だが、普段は金沢で大学生活を送っている。家族にも避難命令がでて、その間親戚宅で避難生活をしていた。家族や友人が大変な目にあっているけれど、私だけが平和な日常を送っている。そんな焦燥感が、噴火初期の私を突き動かしていた。

遠くて何もできないけれど、ネットを使えば何か、地元に届くことができる。

そんな希望を私に与えてくれたのが、有珠山ネットの存在だった。

噴火初期、それこそ4月の上旬ごろは、そんな感じで「有珠山ネットの情報を受ける側」に徹していた。自分で何か提案して、動いていく余裕がなかったのかもしれない。私にできるのは、せいぜいこいのぼりを書いて、掲示板に励ましの書き込みをすることくらいだと思っていた。

私が描いたこいのぼり。

なのに何を血迷ったのか、うすこいin西胆振を境に、私は積極的に発言する方へ回っていた。金沢にいて、平和な大学生をやっているからできたことだったのかもしれないし、虻田で生まれ育って多少の土地カン(?)のようなものがあったからなのかもしれない。多分その両方の理由からだとは思うが、他のメンバーの方々のテンションの高さのようなものに、引っ張られていたのかもしれない。

それまでメールは、全国に散った友達との遠距離電話の代わりだった。

ホームページは、自分の書いた詩を読んでもらうための場所にすぎなかった。

そんな意識が、有珠山ネットに入ったことで瞬く間に崩れていく。毎日毎日100通以上のメールを、よく読んできたものだと思う。

だが、この噴火が故郷で起こったものでなければどうだっただろうか。きっと今までの災害のように、他人事として片づけていた。マスコミの報道の風化に任せ、自分の意識もどんどんと離れていっただろうと思う。

だが、有珠山ネットには自分の身に起こったことでもないのに「他人事」ですまさない人達がいた。その事が嬉しかったが、不思議にも思った。

みんな、よくやるよなあ。

私だって、全くの他人事だら、こんなに一生懸命やらないもんな。

そんな事を思いながら、日々が過ぎていった。うすこいin西胆振や、湘南ひらつか七夕まつりでの七夕インターネットの会ブースで行った有珠への願い事受付、うすゆめコンサート、うすゆめファイナルでのシャボン玉・・・。色々な経験を通して、自分の自信のようなものが広がっていく。有珠山が噴火しなかったら、ひらつか七夕にも行く事はなかっただろうし、きっと楽譜を書くこともなかったと思う。

そして、うすゆめファイナルの時。子ども達が無心にシャボン玉を飛ばす姿をみて、私はひしひしとこみあげてくるものを感じた。子ども達が、あまりに楽しそうだったからである。あっちでは大きなシャボン玉をつくる子、こっちではうちわの骨でたくさん飛ばす子。「勝負だ!」と言って、一方ではうちわの骨でシャボン玉を飛ばし、もう一方はシャボン玉を一つ残らず壊している男の子たちもいた。ふわふわと飛んでいくシャボン玉に、子ども達は何を見ているのだろう。盛況の中、手を洗う水もすぐにシャボン玉液っぽくなり、取り替えても取り替えてもすぐにヌルヌル状態になる。最後には手洗いの水でシャボン玉を飛ばす子どもまで現れて、無我夢中で働いているうちに夕方になった。シャボン玉のブースを撤収した後すぐに月浦を後にしたので、花火やキャンプファイヤーなどを見る事はできなかったが、きっと子ども達には良い思い出になったと思う。

だが、「うすこい」や「うすゆめコンサート」、「うすゆめファイナル」などの準備を進めていた私に「押し付けでないのかい?」と、シビアな言い方をしてくれた母のお陰で、自分がものすごくいい事をしているような錯覚を起こさずにすんだ。

そう、私は「自分がしたいから」やっているのだ。

友達とカラオケに行ったり、ウインドーショッピングをするのと同じように、自分の時間と多少の情熱を、ふるさとへ振り向けたいと思っただけなのだ。きっと有珠山ネットに参加している人の多くが自分の時間と多少の情熱をそれに振り向け、いざ何かやるとなると、それぞれの人達が本業などでつちかった本領を発揮し、びっくりするほどのものがつぎつぎと生まれていった。

そんな母に、うすゆめファイナルの前前日、FMレイクトピアで、でかシャボン玉に使う針金ハンガーを加工しに行く時、こう言われた。「噴火友達なんだね、あんたらは」噴火友達と言う言い方がなんともおかしかったが、それもまた有珠山ネットのひとつの姿なのかもしれない。

噴火が結んだ、人々のつながり。

それが有珠山ネットの底力だったのではないかと思う。

これから、季節は移ろい、月浦には紅葉が舞い散り、また白い季節がやってくるだろう。

これから5年、10年かけてふるさとがたちあがっていく姿を、どんな形であっても見守っていきたいと思う今日このごろである。

8月21日