最終回(RescueNow.Net、トミコラの最終回のこと)を書いた後、なんとはなく手持ち
無沙汰になった。
時期も半端だったし、気持ちも半端だった。
 
 月浦の親が立ち上がったぞ、と、予告だけをしながら、その結果については何も触れ
ないというのは、これは読み物としてはまことに趣もあって、われながら上手に終わっ
たなと思ったんだけれども、冨田は立派な物書きではないので、余計なことをして台
無しにしてしまうのでありました。
 今回は有珠山ネットのおまけということで、まあなくてもいいといえばいいのです。

 8月12日を待たずして、冨田の中では何かが終わった。
 月浦の親たちにかこつけて、自分で整理しようと、あるいは、踏ん切りをつけようとしていた。
 何に対して踏ん切りをつけるのか、いま少しはっきりはしていないけれど。

 噴火が過去のものになったのか?
 復興に地元が歩き始めたからか?
 利害の対立する、さまざまな事柄に嫌気がさしたのか?
 もう災害に飽きたのか?


 どれでもないが、そのすべてでもあるように思う。
 被災の中心が虻田に移ってからは、冨田は被災者ではなくなった。
 部外者となった。これまでは当事者として発言できたのだが、今後はそうではない。
 部外者として何がいえるのか、どこまでいえるのかを自問する日が続いた。
 当然迫力に欠ける。

 「間仕切りがまだつかない」
 しかしそれを拒んだものは虻田町民であったことも事実だ。

 「町がその機能を充分に発揮していない」
 しかしそれを許しているのは虻田町民なのである。

 それを根本的に是正するのは、部外者ではなく当事者の虻田町民である。
それしかありえない。
 これに気がついてから、冨田のスタンスは大きく変化したといわざるをえない。
 声高く批判などするのはお門違いである。知っていることの100分の1も書くことが
できなくもなった。

 災害はこれから始まる。

 地元ではあくまでも復旧に重点を置き、前回と同様税金の無駄遣いの方向に
流れるだろう。
 20年後、また噴火する。
 このままの復旧が進むと、そのときには、今回と同じような避難劇が繰り広げら
れるはずだ。
 噴火する場所が違うだけで、本質は何も変化がない。
 愚かでさえある。
 しかしそれを許すのは、洞爺湖周辺にすむ住民なのである。
 
 これは残酷だけれども事実である。
 
 変化を望まない、長いものにはかれているほうが安心だとばかりに、物を言うこと
をしない。影では愚痴を言う。しかし影はあくまでも影に過ぎず、行政を変えるわけもない。

8月11日

 本番前日、冨田はすでに中心メンバーの役割を果たす気力体力が尽きていた。ゴトーを
始めとする若手が大いに成長し、すでに冨田を必要としなくなっていた。
 いいものを見せてもらった。
 若い衆が日々成長するさまを見せてもらった。いつのまにかゴトーは、たくましく成長した。
工藤も、横濱も、金子も、松本も。有珠山ネットは、学校かもしれない。

 冨田は己の限界を厳しく悟っている。この4ヶ月の間、かなり無理をした。家族にも計り知
れぬ犠牲を強いた。
 
 特に女房には、言葉にあらわすことのできない苦痛を与えつづけた。

 そもそも冨田は、これほど優れた人間の集団を一つにまとめる力などありはしなかった
のである。曲がりなりにもその真似事ができたのは、有珠山噴火という緊急事態のなせ
る技であった。
 冨田抜きで、準備は着々と進み、ブーちゃんも火にかかるとき、冨田は先に家に戻った。
若い衆の成長を楽しむ余裕すらうせていた。
 
 以前であればこれは間違いなく、真中にでんと座ってすべてを取り仕切らせてもらった
はずである。
 威張り散らしていたはずである。
 怒鳴りまくっていたはずである。
 それを期待する向きもあることはあるのだろうけれども、残念ながらそれに答える気力が
なくなった。

 8月12日 当日

 10時に会場入り。すでにほぼ準備は終了しており、冨田は何もすることがない。
 村さん到着。少し遅れて男浅川到着。
 後は佐藤氏が来ると33年組みがそろうのだけれど、佐藤氏は忙しいらしい。

 33年組の顔を見て、冨田は心底安堵したことをここで告白しなくてはならない。
 
 なんと頼もしい相棒であることか。
 
 こいつらがなんといおうと、俺の親友であると、冨田は勝手にそう思っている。
 どれほど助けられたか筆舌には尽くしがたい。
 何かを提案して、こいつらの賛同を得られたときには、100万の味方を得た気分に
なったものだ。

 たくましく成長した若い衆軍団が、取り仕切る中で、祭りが始まった。
 三々五々集まる近隣の子供たち。スタッフがはりついている露店はにぎわい始める。
歓声があがる。冨田はビールを飲むくらいしかすることがない。

 男浅川は画像を処理し、村さんはヨーヨーつりのテキヤと化している。
 忙しいのに1号も流しそうめんの竹の修正に余念がない。道具一式を持参して。
 全国各地から集まった連中がそれぞれの持ち場にちらばって、しかし、全体としては
まとまってひとつの祭りを作り上げている。

 こいつらは間違いなくバカである。

 せっかくの盆の休みを使って、それぞれの予定もあるだろうに、手弁当で。月浦の
子供の笑顔を見るためだけに1年のうちで最も高い時期の運賃を支払って集まった
のである。感謝しても感謝しきれない。
 思えば4ヶ月ちょっと前までは、まったくの他人であった。
 有珠山が噴火しなければ、言葉を交わすことさえなかったであろう奴らの姿を見て、
冨田はこみ上げる涙を押さえることはできなかった。

 なくしたものも多かったが、頂戴したものの方がはるかに多かった4ヶ月であった。

 金額のことは書きたくないが、20数万円の花火はやはり1時間持たなかった。
全国から40万円をはるかに超えるカンパが寄せられた。要するに、俺たちが飲み
食いして花火をやるためにお金を下さいと頼んだのだ。
20万円くらいは読めた。
しかし40万円を超えることになるとはゆめにも思わなかった。
まさにこの意味でも「うすゆめ」であった。
 ファイヤーストームが始まり、スタッフの結婚披露宴というアトラクションが始まり、
冨田は涙が止まらなかった。

 20年後また有珠山が噴火するだろう。そのときには33年組は60を超えている。
ゴトーでさえ40を超えている。

 有珠山ネットがなしえたことがなんなのか冨田には今一つ理解できない。一生懸命
走ったけれども、何もできなかったようにも思うし、とてつもないことをしでかしちゃった
ような気もする。
 無事に8月12日を終えて思うことは、明日から元に戻るんだなあという感慨と、この
4ヶ月の女房への償いが始まるんだなあという覚悟めいたものだけである。

 最後に有珠山ネットとそれを支えてくださったすべての諸君に、心から御礼を申し上げる。

 20年後にまた有珠山であいましょう。

 みなさん、本当にありがとう。