05050081.jpg (3154 バイト) 中川 和之@ふりふり大魔人

噴火前から有珠山に引き寄せられていた私
=地震学会、ボーイスカウト、ネットデイ=

 日本地震学会と日本火山学会が合同で昨年から始めた地震・火山子どもサマースクールを、今夏に有珠山で実施しようと内定したのは昨年11月だった。3月27日午後、第1回目の実行委員会が、北大の有珠火山観測所の会議室で開かれ、北大から実行委員長の宇井忠英教授、岡田弘教授、地震学会学校教育委員長の桑原央治都立大島高校教諭ら6人が集まっていた。昨年、全体の進行役を務めた私も行きたかったが、限られた予算の中では遠距離参加は難しく、打ち合わせ結果が実行委員会のスタッフmlに流れるのを待っていた。

28日の朝、出勤前にアクセスしたところ、事務局役の道立理科教育センターの方からの打ち合わせ結果がmlに入っており、昭和新山登山も含め2日間に渡っての充実したプログラム案ができていた。ただ、そのメールを追いかけるように、宇井さんから有感と思われる火山性地震が起き始めたとの報告と共に、「万一本番にでもなったらこれまでの準備
は全てご破算ですね」とのメールもあり、私も28日の午後5時過ぎに出したメールで「70人もの子供を預かるのはかなり無理が伴うかな」と書いている。

実は、そのメールで「伊達市在住の富田さんのページ」のURLを、スタッフに紹介していたのだった。
farmersbのURLは、その1時間前にinterCnetという災害情報ボランティア関係の3300mlに、加藤@札幌さんが流してくれていた。さっそく見に行って、そのパワーに感服し、当時の送信ログを見ると、災害関係のいくつものmlに紹介している。

さらに、情報収集をwebでやっているうちに、地元自治体が同じプロバイダー(ニッテツ北海道制御システム)で情報発信しているため、アクセス集中していることが分かり、ミラー計画を29日の午後3時過ぎに複数のmlで提案。30日午後にはサーバー資源の見通しも付き、関係先に打診を始めた。そこで、佐藤@室蘭市教委さんが情報教育センターでもミラーする計画があることを知り、31日の噴火直前には佐藤さんの開いたmlに加入しつつ、ミラー計画を進め、1日の早朝に容量数百メガ、回線 200Mbps KDD直結のサーバーに、伊達市、虻田町、壮瞥町のミラーサイトが構築され、ミラー班のmlも1日午後4時には作られた。有珠山ネットのミラー班の原型である。

その段階では、「これで一仕事。あとはぼちぼち」と思っていたのだが、これは怒濤の有珠山ネット生活の始まりに過ぎなかった その一つは、冨田さんとの出会いだった。既に、mlは佐藤さんのところから、村松さんの東北大に移管されていた4月1日夜。避難者名簿が
公開されていることについて、問題があるのではとのmlでの議論と並行して冨田さんから「ガンガン」と音が聞こえてきそうな、電話を受けたのが最初だった。その後、ボーイスカウトの指導者同士であることも分かり、災害以外の共通言語も頼りにしながら、何度もぶつかり合ったりしながら、分かり合っていった

うすこいの始まりは、避難する子どもたちに何かできないかとの議論の中で、9日に村松さんが「鯉のぼりは可能かどうかわかりませんが、小さな鯉のぼりはどうでしょうか」と書かれたことが始まりだった。その段階では、自分が関わるとは考えていなかったが、あっという間にうすこいml上でインターネットでこいのぼりを送ろうという企画に練り上げられていく中で、「所属するボーイスカウトで地域の子どもたちにゲームラリーで楽しんでもらおう(魂胆はリクルートね(^_^;))という西宮25団の「団まつり」で、うすこいをやりたいけど人手が・・」というメールを投げたところ、ゆんさんが同じ県内とは言え2時間以上はかかる山崎町から、またもう一人奈良から大学生が手伝ってくれるっていう手が上がり、うすこいで最初のイベントを実施してしまった。

ゆんさんとは、99年10月31日に取材させていただいた、山崎小学校で実施されたネットデイ(http://member.nifty.ne.jp/n-kaz/genkou/netday.html 参照)で一緒だったのも、また人のつながりを感じた。「うすこいin西宮」には、い、83人の子どもたちが参加してくれ、それぞれに有珠山のふもとの子どもたちのことをそれぞれに思い起こしてくれながら、鯉のぼりの絵を描いてくれた。

地震学会、ボーイスカウト、ネットデイと3拍子揃ってしまった。これまでのいろんなmlで知り合った人たちも、有珠山ネットにたくさん参加していた。もう、そこまで来たら、しょうがない。震災5年で社内の出版物に書いた原稿料が、安くてもまとまってそこそこあったこともあり、小遣いを足してゴールデンウイーク真っ最中の有珠のふもとに行くことにした。

うすこいin西胆振で道入りする時の目的は、別にもあった。火山活動も、決して楽観視はできない状況ではあったが、落ち着いてきたこともあって、何とか子どもサマースクールを実現できないかと、宇井さんを口説くことだった。
また、もう一つはここだから書いちゃうけど、洞爺湖温泉の人的、経営的リソースを利用して安全でかつ近いところで、「噴火が収まるのを待つだけでなく、積極的に復興のまちづくりを住民が主体となって進めるために、当分は立ち入ることができない洞爺湖温泉街を中心とした生活をしていた避難住民に対し、

(1)雇用の場
(2)住民たちの協働の場、
(3)全国からの支援を受ける場

という「仮設温泉街構想」(末尾参照)という私案を、さまざまな人に提示し、地元からのアイデアとして打ち出してもらう根回しをしたかった。この私案は、有珠山ネットのmlでのやりとりや、以前からの考え方を元に、厚生省の関係者とディスカッションする中で浮かんだものだった。神戸の災害救援ボランティアとも議論してとりあえずペーパーにまとめたが、何人かに打診してみて感触は悪くなかった。

5月2日にゆんさんと一緒に道入り。援農に向かったゆんさんと分かれて、道庁や道社協、北大などを回り、3日には伊達霞が関の関係者や、虻田町長とも面会し、私案を伝えた。長崎町長も、意図するところは汲んでくれたと思った。島原のボランティアにも、実現したら雲仙温泉から支援のお湯を運んでこいと言って「しゃーないなあ(^_^;)」的な返事までもらったのだが、結局これは実現に至らなかった。一方、3日午後には、地震学会の別のメンバーと一緒に、宇井さんを訪れ、変則的な形ながら子どもサマースクールを8月26,27日の日程で、壮瞥・伊達と、虻田を対象に2日間に分けて実施しようという方向で合意ができ、岡田@北大さんも快諾してくれた。

4日、5日は、主目的のうすこいin西胆振に参加した
http://www.kh.rim.or.jp/~n-kaz/usuzan/ 参照)

わらわらと、巣窟が人でうまっていった。下見、実施ともに体育館とかではない小規模避難所だったので、阪神大震災などで見てきた避難所とはだいぶ様子が異なっている。ファミリアーな雰囲気すらあった。阪神でも大規模な避難所は運営が大変だったと聞いているし、効率は悪いかも知れないが、今後の避難所のあり方を考える参考になった。(残念ながら、その後の避難所集約の過程で大規模化してしまったようだが)。
5日の夜は冨田邸の前庭でのバーベキューをいただき、熱燗ビールを手にして、冨田さんとの記念写真も撮ることができた


うすこいin西胆振は、スカウトリーダーの先輩である冨田さんとのプロジェクトということで、調子こいて制服で活動させてもらった。出発前に兵庫連盟事務局に行った時に、胆振地区へのちょっとしたおみやげも預かっていた。冨田さんと、地区委員長には、手塚治虫のフェニックス(阪神大震災の復興計画のイメージキャラクター)が刺繍されたネッカチーフを手渡すこともできた。
4泊5日で、うち3泊が伊達巣窟で寝袋。最後の夜はアイクで寝させてもらい、朝食までいただいてしまった。いつか、またゆっくりとファーマーズbのお客さんとして行かせていただこうと思っている。そういえば、送ってもらった母の日の花束は実家の玄関を飾っている。

その後、「仮設温泉街構想」がだめならと、阪神大震災で兵庫県が実施した生活再建支援プログラムの策定などに威力を発揮した「被災者復興支援会議」のような、地元被災者の意見を聞いて、行政の政策作りにつなぐための民間支援組織ができないかと、山口@北大さん、宇井さん、松田@札幌国際大さんに呼びかけてもらい、神戸から被災者復興支援会議の元メンバーらと共に「有珠山復興支援現地フォーラム」
(http://www.kh.rim.or.jp/~n-kaz/usuzan/fukkou/index.html 参照)
を、6月18日に伊達商工会議所で開催した。このフォーラムは、冨田さんや後藤さんら、有珠山ネットチームの支援がなければできなかった。結局、このフォーラムも回数を重ねていきたかったが、力足らずでやりっ放しになってしまった。

 残念ながら、8月12日のブープロは、地元のボーイスカウトの舎営と日程が重なったため参加できなかった。スカウト指導者の一人として、面倒を見ている子どもたちのためにブープロに参加できないことも、きっと冨田さん(ボーイスカウト北海道連盟胆振地区野営行事委員長殿)は分かってくれたのだろうと、勝手に思っている。

 8月26−27日の、地震・火山子どもサマースクール「有珠山ウオッチング」には、有珠山ネットTopix担当の青野先生を始め、見学の学校教員を含めて約120人の参加を得て、充実した行事が実現した。
( http://www.kh.rim.or.jp/~n-kaz/usuzan/CSS/program.html 参照)

振り返ってみれば、有珠山ネットであれこれ発言してきたが、冨田さんがいみじくも指摘したように「あんたのいうことは何一つ実現してないんだよ」というのが、本当のところかも知れない。これからも、こりずに続けていこうと思っているが、有珠山、三宅島雄山、愛知県水害、鳥取西部地震の災害責めは、正直、そろそろ終わりにして欲しい。有珠の前のトルコ、台湾から、1年以上、同じような日々を送っているような気がする。途中でやりっぱなしのまま放置してあることが多々ある。

4月6日に秋山さんや後藤さんらが、落ち着いたら有珠の温泉でオフ会をと提案された。ゆっくりした気持ちで、のんびりと温泉に入って酒を酌み交わし、宿題を片づけるためのリフレッシュをする機会がいずれの日にか実現できたらいいなと願っているが、地球は許してくれるのだろうか。

有珠・仮設温泉街構想 企画案 ver1(4/29)

●目的
噴火が収まるのを待つだけでなく、積極的に復興のまちづくりを住民が主体となって進めるために、当分は立ち入ることができない洞爺湖温泉街を中心とした生活をしていた避難住民に対し

(1)雇用の場
(2)住民たちの協働の場
(3)全国からの支援を受ける場

として、仮設温泉街を設ける。

●前提
あくまで仮設であり、終結宣言が出るまでは、経費と人件費を上回る利益を目的としない。町の税収不足は、別の形(交付税など)で補う。支援はあくまで町民対象となることを忘れない。その範囲とする。大手系のホテル・旅館よりも、地元を優先しながら、かつ大手が雇用していた人の働く場を確保する。

●構想

  • 洞爺湖温泉の人的、経営的リソースを利用し、仕事を作ることを目的とする。
  • 地元を中心に、かつ知的リソースやボランティア的立場の人も入り込みながら、構想を推進する第3者委員会を作る。この親委員会が、いわば経営者となることも想定する。委員会メンバーは無報酬とする。事務局は、道・虻田町・地元観光協会が担うが、計画策定、決定プロセスは、100%公開の場で行う。
  • 安全でかつ近いところに、仮設浴場と関連サービス施設、関連商業施設を仮設で整備する。整備費は、できるだけ公的資金を導入するが、初期段階はボランティア的な支援で早期に動き出すことも考える。
  • 洞爺湖、西胆振周辺の温泉業者で助け合いの形を作り、そこに来れば、西胆振の温泉地すべてまわれる形を作る。その段階で、島原は乗るはず。
  • 全国から来たお客が、そこに来ることで有珠山支援となる。
  • さまざまなボランティア的なイベントサービスも提供するが、出来るだけ地元(虻田だけではない)にお金が落ちるよう、設置段階から考えておく。ただし、透明性は確保する。
  • 道内各地の温泉を1週間ごとに「○○の湯」として、○○週間というイベントを提供。そこの特産物も販売する。販売利益の一部を支援のために寄付する。この構想のために、支援金を呼びかけ、メンテナンス資金とする。
  • 全道の動きを反映する形で、全国の温泉街からもボランティアで支援する。
  • そこにいけば、全国の温泉が体験できることが望ましい。同様に、イベントを展開する。
  • 周辺の温泉地(1市3町など)との送迎バスを、用意する。
  • 利用客には、その施設に見合っただけのお金を落としてもらう。
  • 可能なら洞爺湖温泉の泉源からパイプラインを引いて、洞爺湖温泉の湯を確保する。洞爺湖温泉の火を消さないように。
  • 行政の補助で温泉を掘ることも考える。
  • 洞爺湖温泉街の西側が使えなくなった際に、受け皿とすることも念頭に置く。仮設ではあるが、冬場に向けて、徐々に本設的整備を進めることを委員会を中心に考え、住民主体の温泉まちづくりを進めて、本設の温泉、旅館、ホテル、飲食店などの都市計画をしながら、建設を進める。
  • 洞爺湖温泉に隣接する住宅団地を撤去し、復旧した後、職住を分離することも念頭に置き、被災者恒久住宅を建設することも視野に入れる。
  • この地域が、全国の火山に隣接した温泉街のメッカになることも想定し、岡田教授ら火山学者も主要なメンバーとする「全国火山と温泉サミット」的な知的イベントも開催する。火山と住民の共生を進める
  • 洞爺湖温泉の経営者、従業員に対しての、火山講座など、火山と住民の共生の先進地としての地位を確立させる。
  • 短期的な注目での客の入れ込みを前提としない、身の程にあった展望を持つ。
  • 最終的に何らかの財産処分などを伴う場合、土地などは本来所有者に戻したうえで、残余があれば、有珠基金とし、火山災害被災者支援のために使う。このための第3者委員会も設け、公開で決定する。

●場所など
200戸の仮設を作る月浦が一つの候補地。安全の問題、土地の問題、アクセスの問題を考える。

●使えるリソース
・国土庁
 復興支援
・建設省
 復興支援事業、災害復旧土木事業関連事業
・運輸省
 産業復興支援
・厚生省
 生活再建支援
・労働省
 就業支援
・自治省
 復興基金
・自衛隊
 仮設浴場作りのノウハウ
・北海道
 復興・産業・住民支援、復興基金
・日本財団
 住民・ボランティア支援
・道観光協会
・旅行業者
・JR、航空会社
・広告代理店
・などなど

●協力を仰ぐところ
・地元の他の自治体、観光協会
・他の旅館、観光業者
・地元バス事業者
・道新、室民などメディア
・などなど