P8110190.jpg (4827 バイト) 松本  卓也

有珠山ネットの不思議な縁

有珠山が噴火しそうだと知ったのは、勤めていた会社を退職する前の雑務に追われていたときだと思う。

引継ぎとして残していくマニュアル作りに追われていた。
その時はホテル住まいであったのに、仕事がおわらずにホテル近くのガストで、飲み放題のコーヒーを片手にメールチェックしたときだった。

山形滞在時に大変お世話になっていた「山形メーリングリスト POY」にて、新庄市在住の石井ファーム   石井さんからのメールであった。

ファームとつくのでもうおわかりかと思うが、このメールの発信者はいわずもがな冨田きよむ隊長であり、最強の農家軍団・元気ねっとのMLから転送されてきたものであった。
その後、まめに石井さんが元気ねっとのものを転送されていたり、このPOYで「有珠山ネット」の存在を知ったおやびんこと東北大の村松先生から「有珠山災害対策ML」のメンバー登録などの話なども流れてきた。

そのような中、年度末に山は噴火した。その夜は、会社の歓送迎会ということで、温泉に泊っていたが、出席者の大部分が北海道人であったため、宴会が終わって戻ってくると、丁度始まったニュースステーションに北海道に関係のない1人を除いた全員が釘付けだった。

伝えられてくる報道の数々。大部分の北海道人ならいったことがある洞爺湖の映像、そして実際に仕事で虻田などの小売店をまわっていたものもいた。その時にはやはり、有珠山はどうなるのだろうか…・・と真剣に思ったものである。

北海道に戻った後、有珠山災害対策MLの配信を受けることになる。そこでは学校の先輩である後藤氏に会うなどという不思議な縁が広まっていった。
実際に4月に若干「旧マフィア」にいっていたのだが、その際に鮮明に記憶に残っているのは、「通行止時間帯の国道37号線の異様さ」である。豊浦=有珠間の37号線は、昼間のみ通行可能であった。それ以外の時間帯は、「通行許可書」を所有した車のみ通行可能である。つまり普通の車は走っていない。
そこを走ると街灯も消えたゴーストタウン化した虻田の町並み、道という道の入り口で警備にあたっている道外から派遣された警察官。もちろん対向車はこない異常な地帯であった。今でもその印象は鮮明に残っている。

その後もうすこいやうすゆめと、有珠山ネットの活動へ参加し、今までにはなかった見識や人脈になったと思う。

この有珠山で本格的にはじまった「メーリングリストを活用した情報支援」という試みは、各地のこのようなケースによってより高度化されていくと思う。有珠山で残念だったことは、行政サイドが情報をとるためにだけ使っていて、ほとんど当事の市町村からの発信がなかったことなのかもしれない。私はMLとは、Give&Takeによってなりたつものであると思う。行政などの情報をHP化するのも大事だが、MLの知恵や情報を得て双方向型になっていかないものだろうか。

 MLなどの提案を形にしていった北海道の担当職のご苦労は特筆すべきであったと思う。

2000年は災害の当たり年なのかもしれない。有珠山にはじまり、三宅島、そして鳥取地震と続いている。また有珠山ネットの参加者のひろがりなのかもしれないが、元気ねっとのメンバーの方だったり、廣池さんのご実家付近が震源であったりと不思議な関係が続いている。

もしかするとそれも有珠山ネットのもっている「災害時の情報支援」という取り組みを途切れさせないための不思議な縁なのかもしれない。

そういっている間に、「有珠山のつぎの年には駒ケ岳か樽前山が噴火する」というジンクスが,もうすぐやってきてしまうのだろうか。